やっと「砂の器」(止まらなくて追記)
2005年3月20日 TV久々に外出しない休日。
「いいとも増刊号」をオンタイムで見て、なぜかお昼はインスタントラーメン(笑)。
午後はライブDVDを見ようかな〜なんて思ってたのに、「砂の器」のサイドストーリー(たぶん、えこさんやかおちゃんさんのおっしゃっているやつです)を読んでたら、やっぱり和賀さんだ〜っと、1・2話を見てしまった。
「白い影」週間の時も、ずっと我慢してたからね…。
前にも書いたけど、初めからオンタイムで病気のように嵌っていたのは「砂の器」だったので、和賀さんにはまた、直江先生とは違う思い入れがある。
始まる前は、「また直江先生みたいにカッコいい中居くんが見られるんだ〜」って思って嬉しかった。
いや、正確に言うと違うな。
「また、直江先生に会える」と言うのが正直な気持ちだったような気がする。
あまりにも直江先生が好きだったから、和賀さんの中に直江先生(の容姿)を見られるのが楽しみだったんだと思う。
でも、それは違っていた。
そのことをはっきり感じたのは、コンサートシーンでも、殺人シーンでもなく、翌日の部屋のシーンだった。
事件を報道するTVを消し、ピアノの方を振り向く和賀さん。
じっとピアノを見つめ、愛おしそうになでる指先。
その表情を見たとき、「これが和賀さんなんだ。直江先生じゃない」って思った。
不治の病、宿命と罪、というそれぞれにあまりにも重いものを背負ったふたり。
でも、その美しさは違っている。
直江先生の美しさは、病という苦しみの中にあっても、静かで透き通るような美しさ。
(先生は渋い、って言われるけど、私はむしろ「少年のような」感じさえ受けることがある)
それに対して、和賀さんの美しさは、もっともっと深くて、壮絶なまでに哀しい、大人の男の美しさだと思う。
3年たったんだから、演じてる本人も変わる、と言われればそれまでかもしれない。
でも、やっぱりこんなふうに、まるで違う人物を生み出し、しかもそれが実在しているとしか思えないように感じさせてしまうというところが、中居正広という人のすごさなんだ、と改めて思う。
(そうして、それが、「いいとも増刊号」で、ミニーちゃんの帽子をかぶって、まずそうな(笑)ラーメン作ってる人だと思うとまた…)
>えこさん。「日本の人口が1人増える」っていう表現、ツボに嵌りました〜。
今日見てて、やっぱりコンサートシーンはすごいな、って思った。
私はピアノは弾けないから、正確なことはわからないけれど、専門の人が見ても、あの指の動きは本当にピッタリ合っているらしい。
最後の「宿命」のコンサートシーンでも、このシーンみたいにもっと横とか後ろから映してくれてもよかったんじゃないかな〜と思う。
ピアノはねぇ、小さいころ習ってたけど、練習がめんどくさくてやめちゃったんだよね。
このドラマ見て、「宿命」を聴いて、これほど、ピアノやってればよかったって後悔したことはなかった…。
演奏後、和賀さんが不遜とも思えるような微笑みを見せ、そして満足そうに万雷の拍手を受けながら、客席を見回すシーン。
これが、和賀さんの頂点だったんだ、と思うと、もう一度、あの時に戻してあげたくなる。
でも、あの事件がなければ、本当の自分を生き直すことはできなかったんだよね。そして「宿命」も生まれなかった。
(…というか、ドラマが成り立たないわなぁ(笑)。
でも、真剣にこんなことを考えずにいられないのが、中居ドラマの不思議なんだよね)
わ〜、まずいぞ、止まらなくなってきた。
どのシーンもねぇ、もうあんまり素敵なのでキリがないんだ。
「カメダ…」ってつぶやくシーン。
真横ではない、あの角度がすっごく好きなんだぁ〜〜。
そして、あの目のアップ。顔全体の表情で、感情を表すことは簡単だけど、目だけで訴える力ってすごいと思う。
2話で好きなのは、まず、公園であさみに話しかけるシーン。
バックミラーであさみの姿を見るところから、車を降りるまでの表情の変化と、あさみに向かって歩いていく姿のカッコよさ。途中で、ちょっと立ち止まるところが好き。
そして、子どもにぶつかったあさみを振り返り、ハッとしながら、ちょっと後ずさるようにしながら、去ろうとするところ。
表情も、動きも、本当に細かく表現されていると思う。
それから、宿命について、綾香に話す場面も好きだ。
和賀さんにとって、綾香はどんな存在だったのか。
あの場面を見ると、やっぱり和賀さんは綾香のことを愛していたんじゃないかと思う。
それは、恋人、というよりも、妹のような存在として。
(和賀さんのことを、どうしても悪いように考えたくない、つまり、和賀さんが自分の名声のために綾香を利用していた、と考えたくない、からかもしれないけど)
あとはやっぱり、あさみのアパートのシーンかな。
あの、アパート、ロケ地めぐりに行った人の話によると、立替え?か何かで、もう隣の家まで壊されているんだそうな。
「もし、僕だったら?」の声、そしてあさみに手をかけようとする横顔の美しさ…。
ガス栓に手をかけ、あさみの声にハッとして振り向き、なんでもないように装って、「行くのか?」って訊くときの顔と、その後の横顔も素敵。
部屋に戻って、小走りで(部屋の中を・笑)コートと上着を脱いでいく一連の動作。
あ、忘れてた。
その前の、酔っ払ったあさみに「あれ?」と言われて、ほくそ笑むところ。すっごく好きで、何回もリピートしたのに、DVDではなくなっていた。なんでだろう。
最後の崖のシーンでも、手袋をギュっとするところがなくなっていたんだよね。もちろん目で十分殺意は伝わってくるけど。
和賀さんを、あまり悪いようには描かないようにしたかったんだろうか?(私みたいに)
素敵〜ばっかりの感想じゃ、情けないなぁ、と思いつつ、今日はこのぐらいにしておこう。
「Mの悲劇」終了。ノベライズ本が出るんだって。いいなあ。
「砂の器」も「白い影」も、原作物だからしょうがないんだけどね。
今度は九州で大きな地震とのこと。
みなさまのところは大丈夫でしょうか。被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。
「いいとも増刊号」をオンタイムで見て、なぜかお昼はインスタントラーメン(笑)。
午後はライブDVDを見ようかな〜なんて思ってたのに、「砂の器」のサイドストーリー(たぶん、えこさんやかおちゃんさんのおっしゃっているやつです)を読んでたら、やっぱり和賀さんだ〜っと、1・2話を見てしまった。
「白い影」週間の時も、ずっと我慢してたからね…。
前にも書いたけど、初めからオンタイムで病気のように嵌っていたのは「砂の器」だったので、和賀さんにはまた、直江先生とは違う思い入れがある。
始まる前は、「また直江先生みたいにカッコいい中居くんが見られるんだ〜」って思って嬉しかった。
いや、正確に言うと違うな。
「また、直江先生に会える」と言うのが正直な気持ちだったような気がする。
あまりにも直江先生が好きだったから、和賀さんの中に直江先生(の容姿)を見られるのが楽しみだったんだと思う。
でも、それは違っていた。
そのことをはっきり感じたのは、コンサートシーンでも、殺人シーンでもなく、翌日の部屋のシーンだった。
事件を報道するTVを消し、ピアノの方を振り向く和賀さん。
じっとピアノを見つめ、愛おしそうになでる指先。
その表情を見たとき、「これが和賀さんなんだ。直江先生じゃない」って思った。
不治の病、宿命と罪、というそれぞれにあまりにも重いものを背負ったふたり。
でも、その美しさは違っている。
直江先生の美しさは、病という苦しみの中にあっても、静かで透き通るような美しさ。
(先生は渋い、って言われるけど、私はむしろ「少年のような」感じさえ受けることがある)
それに対して、和賀さんの美しさは、もっともっと深くて、壮絶なまでに哀しい、大人の男の美しさだと思う。
3年たったんだから、演じてる本人も変わる、と言われればそれまでかもしれない。
でも、やっぱりこんなふうに、まるで違う人物を生み出し、しかもそれが実在しているとしか思えないように感じさせてしまうというところが、中居正広という人のすごさなんだ、と改めて思う。
(そうして、それが、「いいとも増刊号」で、ミニーちゃんの帽子をかぶって、まずそうな(笑)ラーメン作ってる人だと思うとまた…)
>えこさん。「日本の人口が1人増える」っていう表現、ツボに嵌りました〜。
今日見てて、やっぱりコンサートシーンはすごいな、って思った。
私はピアノは弾けないから、正確なことはわからないけれど、専門の人が見ても、あの指の動きは本当にピッタリ合っているらしい。
最後の「宿命」のコンサートシーンでも、このシーンみたいにもっと横とか後ろから映してくれてもよかったんじゃないかな〜と思う。
ピアノはねぇ、小さいころ習ってたけど、練習がめんどくさくてやめちゃったんだよね。
このドラマ見て、「宿命」を聴いて、これほど、ピアノやってればよかったって後悔したことはなかった…。
演奏後、和賀さんが不遜とも思えるような微笑みを見せ、そして満足そうに万雷の拍手を受けながら、客席を見回すシーン。
これが、和賀さんの頂点だったんだ、と思うと、もう一度、あの時に戻してあげたくなる。
でも、あの事件がなければ、本当の自分を生き直すことはできなかったんだよね。そして「宿命」も生まれなかった。
(…というか、ドラマが成り立たないわなぁ(笑)。
でも、真剣にこんなことを考えずにいられないのが、中居ドラマの不思議なんだよね)
わ〜、まずいぞ、止まらなくなってきた。
どのシーンもねぇ、もうあんまり素敵なのでキリがないんだ。
「カメダ…」ってつぶやくシーン。
真横ではない、あの角度がすっごく好きなんだぁ〜〜。
そして、あの目のアップ。顔全体の表情で、感情を表すことは簡単だけど、目だけで訴える力ってすごいと思う。
2話で好きなのは、まず、公園であさみに話しかけるシーン。
バックミラーであさみの姿を見るところから、車を降りるまでの表情の変化と、あさみに向かって歩いていく姿のカッコよさ。途中で、ちょっと立ち止まるところが好き。
そして、子どもにぶつかったあさみを振り返り、ハッとしながら、ちょっと後ずさるようにしながら、去ろうとするところ。
表情も、動きも、本当に細かく表現されていると思う。
それから、宿命について、綾香に話す場面も好きだ。
和賀さんにとって、綾香はどんな存在だったのか。
あの場面を見ると、やっぱり和賀さんは綾香のことを愛していたんじゃないかと思う。
それは、恋人、というよりも、妹のような存在として。
(和賀さんのことを、どうしても悪いように考えたくない、つまり、和賀さんが自分の名声のために綾香を利用していた、と考えたくない、からかもしれないけど)
あとはやっぱり、あさみのアパートのシーンかな。
あの、アパート、ロケ地めぐりに行った人の話によると、立替え?か何かで、もう隣の家まで壊されているんだそうな。
「もし、僕だったら?」の声、そしてあさみに手をかけようとする横顔の美しさ…。
ガス栓に手をかけ、あさみの声にハッとして振り向き、なんでもないように装って、「行くのか?」って訊くときの顔と、その後の横顔も素敵。
部屋に戻って、小走りで(部屋の中を・笑)コートと上着を脱いでいく一連の動作。
あ、忘れてた。
その前の、酔っ払ったあさみに「あれ?」と言われて、ほくそ笑むところ。すっごく好きで、何回もリピートしたのに、DVDではなくなっていた。なんでだろう。
最後の崖のシーンでも、手袋をギュっとするところがなくなっていたんだよね。もちろん目で十分殺意は伝わってくるけど。
和賀さんを、あまり悪いようには描かないようにしたかったんだろうか?(私みたいに)
素敵〜ばっかりの感想じゃ、情けないなぁ、と思いつつ、今日はこのぐらいにしておこう。
「Mの悲劇」終了。ノベライズ本が出るんだって。いいなあ。
「砂の器」も「白い影」も、原作物だからしょうがないんだけどね。
今度は九州で大きな地震とのこと。
みなさまのところは大丈夫でしょうか。被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。
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