SPドラマ「戦場のメロディ」を見た。
太平洋戦争中、地元住民などへの暴行や略奪の罪で戦犯として捕らえられた人々が収容されていたフィリピン・モンテンルパ刑務所。
その刑務所の様子と死刑囚たち(そのほとんどはいいかげんな裁判によって無実の罪を着せられたものであったそうだ)の釈放に向けて活動した人々、特に薬師丸ひろ子さん演じる歌手の渡辺はま子さんを中心に描いていた。
彼女たちの活動によって昭和27年に108名の元戦犯は無事に再び日本の土を踏むことができたが、10数名はその1年前に処刑されてしまった。
処刑されたひとりの男性。
戦争が終わって復員し家族との幸せな生活が戻ってまもなく戦犯として逮捕、「何もしていないのだから、すぐに帰る」と身重の妻に言い残して連行される。
東京裁判のほかにも海外で戦争裁判が行われていたことはもちろん知っていたけれども、海外に収容された人たちは戦争が終わってもそのまま現地に留め置かれていたのだと思いこんでいたので、一旦帰国してまた現地まで連れ戻されたのだということに驚いた。
彼が手にしていた写真には妻と子どもたち。逮捕後生まれた男の子を、いちどでいいから見たかった、抱きたかった、と教誨師に告げて絞首台に上り、処刑と同時にその写真が手からはらりと落ちる。
…とかなりの部分で貝を思い出さずにはいられない描写の中で、豊松さんの最期とは違い、伊崎充則さん扮するその男性は妻と子の名前を呼び、泣き叫びながら死んでいったけれど、どちらにしても残るのは「なぜ」という思いと理不尽さへの怒りだ。
太平洋戦争中、地元住民などへの暴行や略奪の罪で戦犯として捕らえられた人々が収容されていたフィリピン・モンテンルパ刑務所。
その刑務所の様子と死刑囚たち(そのほとんどはいいかげんな裁判によって無実の罪を着せられたものであったそうだ)の釈放に向けて活動した人々、特に薬師丸ひろ子さん演じる歌手の渡辺はま子さんを中心に描いていた。
彼女たちの活動によって昭和27年に108名の元戦犯は無事に再び日本の土を踏むことができたが、10数名はその1年前に処刑されてしまった。
処刑されたひとりの男性。
戦争が終わって復員し家族との幸せな生活が戻ってまもなく戦犯として逮捕、「何もしていないのだから、すぐに帰る」と身重の妻に言い残して連行される。
東京裁判のほかにも海外で戦争裁判が行われていたことはもちろん知っていたけれども、海外に収容された人たちは戦争が終わってもそのまま現地に留め置かれていたのだと思いこんでいたので、一旦帰国してまた現地まで連れ戻されたのだということに驚いた。
彼が手にしていた写真には妻と子どもたち。逮捕後生まれた男の子を、いちどでいいから見たかった、抱きたかった、と教誨師に告げて絞首台に上り、処刑と同時にその写真が手からはらりと落ちる。
…とかなりの部分で貝を思い出さずにはいられない描写の中で、豊松さんの最期とは違い、伊崎充則さん扮するその男性は妻と子の名前を呼び、泣き叫びながら死んでいったけれど、どちらにしても残るのは「なぜ」という思いと理不尽さへの怒りだ。
コメント
私も観てました。教誨師 13階段 絞首刑のロープ 黒い布 そして写真。
豊松さんを思わずにはいられませんでした。
生(せい)を感じる今回と、全てを遮断してしまった豊松さんの生身と眼の違いはあれど、理不尽な扱いに何ら変わりはなく、苦しくなります。
お墓の映像。やっぱり豊松さんを感じ心が締まりました。
昔観た番組で淡谷のりこさんが、滅多に泣かないけど、自分の歌の途中で
聴いてた男の子が、自分に敬礼して、ひとり又ひとりと去る姿を見た時は
涙が止まらなかった。と話してた事があります。彼らは特攻兵です。
中居君は20代でした。
特攻兵の中の1人を彼で、この淡谷のりこさん物語を見たい・・と局に1度
ハガキを書いた事を思い出しました。
淡谷さんは、どんなにブルーのシャドウとドレスを責められ罰っせられても
「これは私の戦闘服だ」と意志を貫き、認めさせたんです。
こんな屈辱に涙は出なかったけど、この少年たちには泣けた・・という話が
とても印象に残ったんです。
坊主頭なんか見たことなかったけど、あの目を持つ中居君で見たいと願った昔。
何か今日は、色んな事を思い出しました。
埋葬場所も知らされなかった豊松さん。
帰国の船から真っ先に降りてこられた遺骨の場面に
思わず涙しました。
淡谷のり子さんのその話、聞いたことがあります。
昔、秋吉久美子さん主演で「淡谷のり子物語」が放送されましたが
そのときにドラマの中で見たのだったか
淡谷さんのお話として耳にしたのかは忘れましたが。
確かに20代のころの中居くんで見たかった場面ですね。